トーマス・エジソン【天才とは1%のひらめきと99%の努力である】

こんにちは。エコグラウンドです🌱

 

 

電気といえば!!!
電気に関する発明家は多くいますが、皆さんの誰もが知っていると思われる

トーマス・エジソン

 

学校で習った代表的な偉人ですが、実際にどういう人だったのか知っている人は少ないのではないでしょうか❓

今回はこのトーマス・エジソンについて話していきましょう😊

 

 

エジソンの生涯

『発明王』だけでなく、『映画の父』『訴訟王』『メンロパークの魔術師』と異名が多いエジソン。
享年84歳のエジソンは、当時のアメリカでは平均寿命よりも大分長生きしていたと思われます。

七人きょうだいの末っ子のエジソンは子どもの頃から知識に対する欲が強く、多くの実験と発明を繰り返していました。
その数多くのエピソードは今でも語られています。

 

 

エジソンのエピソード

エジソンは多くの発明を残しているのと同様に、多くのエピソードを残しています。
今回はそのなかから代表的なものを3つ紹介します。

 

エジソン、小学校をわずか3か月で中退

少年時代のトーマスは、異常なほどの知りたがり屋でした。
小学校に入学しても残念ながら教師と馬が合わず、わずか3か月で中退しました。

当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにできず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、国語の授業中には、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問したり。と、授業中の事あるごとに「なぜ?」を連発し、先生を困らせていました。

 

エジソンの好奇心は学校内で留まることを知らず、ガチョウの卵を自分で孵化させようとして、卵を抱き抱えてガチョウ小屋の中に何時間も座り込んだり、
「なぜ物は燃えるのか」を知りたいと思い立って藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させるという事件を起こし父親に怒られてしまったり。

 

これらの事件を起こしまくった挙句、最終的には担任の先生から「君の頭は腐っている」と吐き捨てられ、校長からも「ほかの生徒たちの迷惑になる」と言われ、前述の通り入学からわずか3か月で退学することとなりました。
(先生方の冷たい態度に母親が怒り、学校をやめさせたという話もあります。)

 

エジソン、母に怒られる

学校をやめたエジソンは、教師をしていた母親に勉強を教わっていました。
その中で特にエジソンが興味をもったのが化学の実験でした。

実験に没頭した少年時代。
人間が空を飛べるようになる薬を作りたいと思い、ヘリウムガスをヒントにして薬を自作して友人に飲ませてみました。

エジソンの目論見としては、その薬を飲むと体内でガスが発生し、その浮力で人間が浮き上がるはずだったのですが、実際には薬を飲んだ友人が腹痛を起こしてもがき苦しみ、大騒ぎになりました。
普段はエジソンの行為に理解を示し、あまり怒ることがなかった母親も、この件に関しては大激怒し人体実験を行うことを厳しく戒めたといいます。
(エジソンはその後も人間が空を飛ぶという夢をおきらめきれませんでしたが、またもや人命に関わる問題に直面し、挫折しました。その後、ライト兄弟に先を越されてしまいます。)

 

エジソン、最初の発明

17歳の頃、エジソンは駅で夜間電信係として働いていましたが、
「何事もなければ、一晩中1時間おきに勤務に就いていることを示す信号を送るだけ」
という退屈な仕事に飽きてしまい、時計を使って電信機が自動で電信を送る機械を発明しました。

 

電信を機械に任せて自分は寝ていたところ、それまでと違って全く誤差なく正確に1時間おきに電信が届くようになったことを不思議に思って様子を見にきた上司に見つかってバレてしまい、「お前が寝ていたら定時に連絡する意味がないだろう!」と怒られてしまいました。

これがエジソンの最初の発明です。
クビは免れたものの、その後の通信ミスで列車の衝突事故を起こしかけてしまい本社からの出頭命令を無視してエジソンは放浪生活を始めます。

 

 

白熱電球の発明

 

実は世界で最初に電球を発明したのはエジソンではありません💡

1879年にイギリスのスワンという人物が発明しました。
しかし、スワンが発明した白熱電球は寿命が短すぎたのです。

白熱電球は、その構造上明るくするためにはフィラメントの温度をより高くする必要があります。
そのため、フィラメントがすぐに蒸発してしまいます。

 

ここで、エジソンがさらに研究を進めるも、最大45時間ほどしか寿命は延びませんでした。
広く家庭で使ってもらえるようにするには、もっと安価かつ長く使えるものでなくてはならないと、フィラメントを改良するために様々な素材を探し始めました。

 

エジソンはフィラメントの材料を見つけることに大変苦労し、最初は木綿糸や友人のヒゲまで素材として使ってみたそうです。
当然これらはすぐに燃え尽きてしまい失敗に終わりました。(友人のヒゲが最適解だったらどうしていたのか気になります)

その後も6000種類にも及ぶ様々な材料を試してみましたが、ある日偶然机の上に会った竹の扇子が目に入り、その竹をフィラメントとして使ってみたところ…………

なんと200時間も灯り続けたのです!!

これだーーー!!!!!

 

 

いそいで日本に行き、竹を手に入れたエジソン。

同じころに日本の東芝もフィラメントの材料を必死で探していたらしいですが、エジソンが京都産の竹を使ったと聞き地団太を踏みながら「灯台もと暮らし!!」と叫び悔しがったそうです。

 

こうして白熱電球は作られました。
が、その後も研究を重ねあげ1910年ごろに竹よりも丈夫なフィラメントが開発され、これにより電球の寿命はさらに延びました。

 

 

エジソンの名言

 

こうして多くの発明を残し『天才発明家』と呼ばれるエジソンですが、こういったエピソードを知っていくとどれほど挑戦と失敗を繰り返し、挫折を味わっていたことがわかりますね。

エジソンが残した名言で有名なものがあります。

 

天才とは1%のひらめきと99%の努力である

 

こちらの言葉は努力が大切なんだ!という解釈にもとれますが、

ある日、よくエジソンと衝突していた

ニコラ・テスラが「天才とは、99%の努力を無駄にする、1%のひらめきのことである」

と皮肉めいたことを言ったことでエジソンがこんな反論をしています。

 

「私は1%のひらめきがなければ、99%の努力は無駄になると言ったのだ。なのに世間は勝手に美談に仕立て上げ、私を努力の人と美化し、努力の重要性だけを成功の秘訣と勘違いさせている」

 

そのような経緯でその後は「ひらめきが一番大事」的な意見によることが多かったらしいエジソンですが、
確かにフィラメントを開発するにあたって様々な材料を試し努力していたエジソンも、机の上に偶然あった竹の扇子を使ってみようと思わなければフィラメントに最適の材料は見つからなかったかもしれません。

 

 

最後に…

 

いかがでしたでしょうか❓

エジソン=天才というイメージが強かったですが、やってみようと思ったものは失敗を恐れずに挑戦していくチャレンジャーな人だったんだなぁと感じました!

また、ニコラ・テスラとのお互いの意見のぶつけ合いや足の引っ張り合いなども調べていて面白かったのでいつか紹介できればなと思います😊
ニコラ・テスラのご紹介もまたいずれやりたいと思います✨

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